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Posted by おてもやん at

2018年11月29日

友人からの手紙

  四十数年前、私が新聞投稿を始めた頃、私の投稿文に関心を寄せてくれた人がいて
文通が続いている。 お会いしたことはないが、いつも文面から優しい人柄が伝わって
くる。

 今年の春頃から闘病中のご主人の容体が悪くなり、現在はホスピス病院に入院中で
ある。 看病しながらの様々な思いを綴る内容の手紙が多くなった。 先日届いた手紙に
よると、手のひらいっぱい飲んでいた薬を全部止めて痛み止めの薬だけになったとの事。

 「小康状態を保ちながらも爆弾を抱えているような気持ちでふすまを張り替え、畳替えを
し、庭の剪定を頼んだりして家の内外を整えています。 でも、夫にはみんな内緒のこと
です。」 と書いてあった。

 続けて、 「毎日、一つでも楽しい事を見つけて過ごしている私の一日を、ノートに書いて
持って行っており、それを夫は楽しみにしています。 毎日、病室から帰る時は必ず手を
握ると、細くなった手を振り 『ありがとう。 車は用心して運転しなっせ。』 と言います。」
とあった。

 最後に、「私、思うのですが、今が一番肉親のような夫婦になりました。 若い時は手を
つないだこともなく、感謝の言葉など全くなかった夫が、私にありがとうと言います。」 と
彼女は書いていた。

 三年前、夫を亡くした私の心は、涙でいっぱいになった。



KOGA
  


Posted by 熊本県高齢者介護施設・住宅ガイド at 16:47おしゃべり通信(KOGA)

2018年11月21日

最後の再会

 92歳になる母は、施設暮らしを楽しんでいる。 母には、ロサンゼルス在住50年になる
妹がいて、時々私の携帯電話から電話しているが、ある日、母が 「もういっぺん、会って
みろごたっな。 でも、もう会いがならんで。」 と故郷の鹿児島弁で言った。

 それから数か月後の10月中旬、叔母夫婦は熊本にやってきた。 92歳の叔父と81歳の
叔母が思い切って来日を決めたのだ。 その時、母は施設の廊下で転倒し、左足の指3本を
骨折して病院に入院中だった。

 5泊6日の滞在で、私は毎日ホテルから病院まで叔母たちを送迎した。 初日、涙の対面に
なるかと思っていたが、母はベッドの上で 「まあ、お母さん(実母)に似てきたなあ。」 と
言った。それから二人は、毎日とりとめない思いで話が尽きなかった。 二人の鹿児島弁は、
私にも懐かしかった。 

 母に会いに来たのが目的だから観光はしなくていいと言うので、買い物に付き合った。
ちょっと足が弱っている叔父は、ショッピングセンターの休憩スペースで叔母の買い物が
終わるのを穏やかな笑顔で待っていた。

 6日目、帰国の日は母を車いすで病院から連れ出して、妹夫婦も一緒にレストランで食事を
することにしていた。 当日病院に迎えに行くと、母は前夜から体調を崩していて外出は許可
できないとの事。

 叔母は、 「心配だ。」 と言いながら、夕方の飛行機で飛び立った。 もう次はない、母との
最後の対面になるに違いない。 高齢の二人がよくぞ来てくれたと、感謝の気持ちでいっぱい
である。  

 母は体調を取り戻した。



          KOGA        


Posted by 熊本県高齢者介護施設・住宅ガイド at 16:29おしゃべり通信(KOGA)

2018年11月15日

ムカデに刺された

 秋の夜長、ぐっすり寝ていて頭のところに何かガサゴソする気配があり、目が覚めた。
急いで振り払って電気を点けた。 午前1時である。 枕やシーツをはたいてみたが何も
いない。

 トイレに立って洗面所の電気を点けようと右手を伸ばした時、袖の中から何かがもがき
ながら出てきてパサッと床に落ちた。 それは長さ7センチくらいのムカデだった。 あわてて
殺虫剤を幾度もかけた後、ハエ叩きで叩き潰した。

 数日前に購入した 「馬油」 の効能書きに 「虫さされ」 とあったのを思い出して、刺された
腕に何度も塗った。 夜が明けたその日は何の変化もなかったので、さすが馬油は効くなあ
と思っていた。

 ところが次の日、赤くなって大きく膨らんだように腫れた。 あいにくその日は日曜日。
夕方になって、やはり気になって友人に電話した。 彼女の息子さんが、私のかかりつけ医
である。 「ちょうど当番医だから行ってみて。」と言う。

 「専門は内科医だけど、医者になって十数年間、日赤の救急外来勤務だったから、専門外
のことも少しは分かるよ。」 と友人は言った。 すぐに受診したら、 「炎症を抑える薬を出して
おきますね。」 と冷静に対応してくださった。

 その塗り薬を何回も塗った次の日、腫れは半分に減った。 それでも完治するまでには
10日くらいかかった。



       KOGA   


Posted by 熊本県高齢者介護施設・住宅ガイド at 15:37おしゃべり通信(KOGA)

2018年11月07日

ポポー

 熊日夕刊に 「ボイス」 というコーナーがある。 毎回テーマがあって、それについて読者が
短いコメントを寄せており、今回は 「忘れられない食べ物」 についてだった。 「家族で作った
豆腐」 「初めてのボルシチ」 「母がつくる茶わん蒸し」 等の中に、あっと目を引いたのが
「不思議な木の実 ポポー」 だった。

 私の祖父は、鹿児島県の片田舎で教師をしながら農業もやっていて、各種の花々・万年青
(オモト)・野菜や果物・実のなる木々など、種苗会社から取り寄せては熱心に育てていた。

 広い庭に面した裏木戸に植えられていたのが 「ポポー」 の木だ。そのちょっと変わった
名前と独特の味で、 「ポポー」 は幼な心に刻み込まれていたが、もう六十数年前のことで
すっかり忘れていた。

 ネットで調べてみて色々なことがわかった。 「ポポー」 は北米産で、明治期に日本に持ち
込まれた ”幻の果実” だとの事。 外観はアケビに似ていて、果肉・種の様子は柿とある。

 しかし、私の記憶では果肉の色はクリーム色で、ほんのり甘い香りがした。 アケビのように
縦割りにして、実を広げ中の果肉をすくって食べるのだが、あまりおいしいと言える物では
なかったように思う。

 ただ、 「ポポー」 という名前だけは、今回の新聞記事で鮮明に思い出した。
 同時に、甘やかすだけではなかった祖父の端正な顔も浮かんできた。



      KOGA  


Posted by 熊本県高齢者介護施設・住宅ガイド at 16:34おしゃべり通信(KOGA)

2018年11月02日

母の入院

 92歳になる母が、 「老人保健施設」 にお世話になって1年7か月になる。 やっと次の
入居先である有料老人ホームに転居する1週間前、施設の廊下で転倒した。
整形外科受診で、左足指3本を骨折、全治3か月と診断された。

 ギブスが装着され、車いすになった。 集中的なリハビリをしないと歩けなくなるという医師の
判断で、 「九州記念病院」 への入院が決まった。 当日は、病院の車で施設まで迎えに来て
いただき、救急外来入り口から病院に入った。

 診察待ちの多くの患者さんの中で順番を待つ。 やっと呼ばれて診察室に入った時、正面から
向き合うように座っておられた先生が、開口一番 「歩けるようにしますよ。」 と言われた。 
それはとても心強く、私の心に響いた。

 先生は慣れた手つきで、看護師を助手にして、足を固定するべく包帯のようなものをぐるぐる
巻いていく。 途中で母が 「大げさな・・・」 と言った。 先生は足のスネを指して、 「ここは弁慶の
泣き所で、厚く巻いておかないと擦れて痛いんですよ。」 と説明された。

 すると、母が 「病院の先生は何で皆さん、優しいんでしょうか。 私がかかった先生はみんな
優しい先生ばかりです。」 と言った。

 診察を終えて4階の病室に向かう。 担当の看護師さんが優しく迎えてくれて、母は 「よろしく
お願いします。」 と挨拶した。 これから多分、前向きにリハビリに取り組むだろう。

 有料老人ホームは、継続申し込みということにしてもらった。



        KOGA  


Posted by 熊本県高齢者介護施設・住宅ガイド at 13:36おしゃべり通信(KOGA)